2018年2月13日

16歳の覚書

もうすぐ誕生日を迎える子供と話していて
改めて考える、自分にもあった16歳という日。              

なんでもなく過ぎていく毎日だったが、きっと
今に受け継がれていると思えるものたち。

レコード棚。手書きのカセットテープ。
お年玉で買ったYAMAHAの中古、レスポールモデル。
FENDERのアンプ。
シティボーイになるためのバイブル『POPEYE』。
3条の古着屋。一つボタンのキャメルジャケット。
Leeのジーンズ。
兄貴に貸しているうちにどこかへ消えた革の手下げカバン。
高木商店で買うダブルソーダ。
初めてのお下がりでないブリジストン自転車にまたがり
学校帰りに寄る貸レコード屋。
映画の半券、チラシやポスター。凍えながら外で並んで待つ映画館。
ゴムバンドが付いた小さな手帳。紐を引っ張って芯を出す赤鉛筆。
いつものバス停。乗り継ぎのバスを待つ、和菓子屋の店先。
バスを逃した後の長い夕暮れの道。
ブーツ。コンバーススニーカー。ボーリング場の瓶コーラ。
チューインガム。なかでもクイック・クエンチ。
近所の床屋に行くのをやめて安っぽい美容室を予約する、一丁前なつもりの気分。
友達と入る、小さな喫茶店に漂う大人な気分。
冬の朝、暗いうちから聞こえる掃除機の音。
コーヒーの落ちる音。休みの日の朝寝坊。
母がいない時、自分で茹でる昼の蕎麦。止まない父の昼寝のイビキ。
深夜のMTV。ひとり、部屋で聴く山達のラジオ。
窓から見える三日月。明日を想う小さなため息。
もう一緒には使わなくなった、二段ベッドの片割れの寝心地。

ふと気がつくと傍にあり、なくなったら困るものたち。